令和元年は、まさに亥のごとく瞬く間に過ぎ去り、令和という元号にもやっと慣れて、平成という一時代が幕を降ろしたことをやっと実感して過ごしている今日この頃です。
花園会員の皆様には、ご無事にて令和二庚子年をお迎えのことと、お慶び申し上げます。
昨年一年間恙なく当山の法要・諸行事と寺院の運営が出来ましたこと、檀信徒の皆様のご理解ご協力のおかげと感謝申し上げます。
八年前より酸素吸入をはじめ、二年半の闘病生活でした。この間、気管切開・人工呼吸器の装着、心臓ペースメーカーの埋め込みなどの手術を乗り越えてきました。体調がすぐれず病院のベッドに倒れ込んでいるだけの日々もありましたが、お寺の隠寮に帰って孫達とカードゲームをしてみたり楽しい時間を過ごすこともできました。
昨年四月からの治療・リハビリも順調で、夏前より食事や会話ができるようになり、八月末には退院してお寺に戻る予定でしたが、帰ることなく九月二日に遷化いたしました。容体が急変して三日後のことでした。しかし、退院が決まって安堵していた家族の思いとは反対に、「帰るのは棺桶に入る時だ」と芳山和尚は遷化の一週間前に覚悟していたようです。禅僧として生を全うし、久保寺と五十年にわたるご縁をいただいてきた師父の最後でした。「病院での治療・延命措置はどこまでしましょうか?」という医師の言葉に考えさせられたこともありました。「僧侶であるものが延命治療すべきではない・自然に任せるのがいい」という人もいます。「治療すればまだまだ楽しい時間を過ごせるかもしれない」とも思いました。まさに「四苦八苦」というものを実感せずにはいられませんでした。何が正解かは分かりませんが、難しい選択の中で、出来るだけのことをしていただきました。
檀徒の皆様と共に築くことができた当山の歴史・事業については「津送のしおり」に記したとおりですが、この間、皆様には温かいご厚情いただきましたこと、心より感謝申し上げます。
また、お通夜・密葬・津送(本葬儀)には多くの方々にご弔問・ご焼香いただき、久保寺檀徒葬として先住職を送ってくださいましたこと、誠に有り難うございました。改めまして、葬儀式のご報告をさせていただきますが、ここに衷心より重ねて御礼申し上げます。
先住職が遷化いたしましたので、本年は山門不幸・喪中となります。従いまして、例年三が日のご祈祷後に四日より行っております「年頭回礼(お年賀)・配札」にはお邪魔いたしません。湊・川岸・岡谷地区内の皆様には支部長・世話人様を通じて配布し、市外・県内外の皆様には郵送させていただきます。「般若札」は例年通り入れ替えて一年間おまつりください。ご無礼ながら何卒ご海容下さいますようお願い申し上げます。
当山の花園檀徒会には「女性部」の組織があり、地区役員の方々に年中行事に参拝、お手伝いいただいています。春秋のお彼岸・お花まつり(お釈迦様のお誕生日)では、女性部役員のみで、仏教を学びながらお釈迦様やご先祖様を偲ぶ法要と、楽しい茶話会を行っています。二大行事である施餓鬼会・節分会には諸々お手伝いいただき、多くの参拝者が気持ちよくお参りしていただくため、無くてはならない存在です。
女性部(旧婦人部)は昔から車事情を勘案して、徒歩圏内の寺院近隣地域の方々に限ってお願いしておりましたが、近年は高齢化等により会員が減少しており、諸行事の厳修に影響を及ぼす状況となってきています。
この度、市内外の檀信徒様方に女性部会員への登録をお願いし、来年度より組織を再編することに致しました。
檀信徒の皆様には趣旨をご理解いただき、是非ご登録下さいますよう宜しくお願い申し上げます。 合掌女性部は、寺院法要に参拝してお釈迦様の教えにふれることにより、自心を見つめる自己研鑽と心の平穏、檀信徒相互の和合にとって大変有意義な組織であると存じます。
お問い合せ(ご登録)は久保寺住職まで
今年九十一歳になられる京都の南禅寺派管長中村文峰猊下は、「一本の松が境内の雰囲気を整え、また修行に励む後人の標榜となる。折に触れ、松を裁えてきたつもりであるが、あとは育った松が一本のしっかりとした芯となることを祈るばかりである。仏教徒・禅僧として生きる限り、松を裁え続けようと思う」と仰っています。
先住職芳山和尚の亡き後、しっかりとした芯となるよう日々精進する所存です。
皆々様の一年間の御安泰を心より祈念申し上げ、新年のご挨拶と致します。
本年も何卒宜しくお願い申し上げます。